同友ベストプロ「戦後日本と共に歩んだ78年」
- 開催日時:
- 2025/01/20(月)
- 報告者:
- (株)千歳屋商店 取締役 津村 美智子 氏
- 文責者:
- Office TEAM101 砂田 誠
(株)千歳屋商店 取締役 津村 美智子 氏(中③④)
業種 不動産取引業
創業 1952年5月(個人事業創業1946年7月)
同友会入会 20222年2月入会
事業内容 不動産の賃貸仲介業、管理並びに売買仲介業
https://www.chitose-ya.jp/company
「幟町」という町の名の由来をご存じでしょうか。かつて江戸時代より幟(のぼり)を扱う人がたくさん居たから「幟町」という町が出来ました。その後、近代になりこの町には多くの仕立屋が集まり、会員の津村美智子氏が生まれたころも幟町は仕立て職人の町でした。今でも千歳屋商店さんの管理する建物の一室では、仕立職人さんが仕事をしています。
戦後、焼け野原となった広島市の幟町の一角で、創業者である津村さんのご祖父様が洋服の仕立てを生業として「テーラーチトセ」を創業したのは、まさに戦争が終わった1946年(昭和21年)7月のことです。
そのころから数えれば創業78年、というまさに戦後をそのまま駆け抜けてきた、広島の町と共に生きてきた企業です。


そもそも社名の由来たる「千歳屋」とは、末永く家業が続いていくようにと願って付けたそうです。やはり名は体を表すのでしょう。
昭和27年5月に法人化し「(株)千歳屋商店」と名を改め、その後戦後の高度経済成長のなか、大手上場アパレル企業の地方進出などの影響で、徐々に千歳屋商店をはじめとした地域の洋服店は苦境に立たされます。さらなる衰退が予想される中、千歳屋商店は大きな事業転換を推し進めていきます。
「衣食住のうち、衣はもうすでにできた。次は食だ。人間の生活に欠かせないものを商売にするのだ」と。
そして、次に千歳屋商店が取り組んだのが、なんと飲食店でした。ステーキハウスを本通りに開店し、一時は大いににぎわったといいます。そして、その勢いはバブル景気の萌芽と共に増していきます。
さらに、「次は住だ」。昭和44年9月、宅地建物取引業者取得。千歳屋商店はいよいよ大きな事業転換を成し遂げ、昭和56年、まさにバブル景気の最中に不動産業に本格的に転業することとなりました。
以来、景気の勢いに乗って会社は急成長をとげ、広島に支店・営業所を置く企業を顧客にして、賃貸業を中心に確固たる地位を占めるようになりました。
その後、バブル景気の終焉と崩壊の中で大きな打撃を受ける中、会社を存続させるために社員一丸となって走り回り、創業者でご祖父様から父上様、そして兄上様が社長となり3代にわたって続く広島の老舗不動産屋として、地域の方々に親しまれてきました。
戦後の荒波の中で、いかにこの先のトレンドを掴み、生き延びていくかという先見の明こそ、まさに千歳屋さんがここまで長く続いてきた理由です。
しかし、戦後40年以上にもわたって地域と信頼を築いてきたものの、津村さんはこれからの千歳屋商店に思いを馳せます。
「変化の多い不確実な世にあって、いかにこれから生き延びていくか。もう一度、私たちの代で、会社は変わっていかなければならない。これからも、広島の歴史と共に歩みたい。」
そう語る津村さんの目は、常に未来に向いて輝いていました。