幸子の部屋Vol.9~50円のおまんじゅうから始めた、幸せ配達人
- 開催日時:
- 2025/11/20(木)
- 報告者:
- (株)福々庵 代表取締役 森本 真由美 氏
- 文責者:
- ひとつ麦 吉原 幸子
ゲストの方にお着物を着せてインタビューする「幸子の部屋」。今回のゲストは(株)福々庵 代表取締役 森本真由美さん(広島西支部・西地区会)。
7坪の店舗で1個50円のおまんじゅうを販売しながら、子供から高齢者まで、地域の皆さんに交流の場を提供しておられた森本さん。経営の壁に直面し、苦渋の思いで創業の地を手放し、移転。にも拘らず、自然災害、パンデミックのため閉店を覚悟。しかし「困っている方々の力になりたい」という森本さんご自身の思いが新たな販路を拓きました。ゆく先々へ「幸福」と「喜び」を運ぶ森本さんに、これまでの足どりと、将来の展望を伺いました。

【本日のお召し物】
本日のお着物は、大島らしい紬のお着物に、すっきりとした九寸名古屋帯を合わせました。帯揚には森本さんが大好きなカープの赤をあしらいました。全体にすっきりしており、まっすぐで思いやりの深い森本さんのお人柄がにじむお着物姿となりました。
吉原は格子模様の黄八丈に博多の帯を合わせ、秋へ向かう色目で整えました。
吉原:森本さんはどのようして今のお仕事を始められたのでしょうか?
森本:きっかけは長男の一言です。「お母さんが家に居ないと食べるものがなくてお腹が空くけど、居てくれると食べるものがあって嬉しい」と。離婚して、1人で3人の子育てに奮闘していた時でした。この言葉に動かされて、子どもが学校帰りに気軽に立ち寄れる「駄菓子屋さん的なお饅頭屋さん」を西広島で始めました。2009年頃だったと思います。お饅頭は1個50円で販売しました。
吉原:2009年というと、ちょうどスマホが普及し始めたことでしょうか?
森本:はい、そうです。忙しいお母さんたちが帰ってくるまで、子供たちがちょっと小腹を満たしながら、安心しておしゃべりできる場があったらいいな、という思いで始めました。
吉原:毎日たくさんのお子さんが来られたのではありませんか?
森本:はい、おしゃべりしたり、宿題したり。何か音がすると思ったら、劇の練習をしていたなんてこともありました。やがて幼稚園にお子さんの預けた後のお母さんたちのサロン的な場にもなり、子どもさんが「福々庵にいる」と言うと保護者の方が安心してくださるまでになりました。おかげで学校への納品や、デパートの催事というお仕事も頂きました。


吉原:すっかり地域に溶け込まれたんですね。
森本:7坪の店舗では製造が追いつかなくなり、光南に製造工場を構えました。そして経営難になりました。
吉原:なぜでしょうか?ファンも販路も広がって、生産が追い付かなくなったために工場を持たれたのであれば、経営悪化することが想像できません。
森本:問題は商品の「売価設定」を間違えていたことです。創業時の思いで設定した価格でしたが、現実との間にギャップがあったのだと徐々に明らかになりました。「ずっと安価でやってるから価格は変えられない」と思っていましたが、二拠点となり、固定費も増えました。行き詰まって、初めて製造原価となる数字に向き合いました。そして悩みに悩んで、西広島の看板を下ろすことを決定しました。
吉原:それは辛い決断でしたね。
森本:はい、創業地を手放すのは本当につらいことで、悩みに悩みました。子供たちを裏切るような気持ちでいっぱいでした。お店に来ていたたくさんの子供たちからも「辞めないでほしい」と言われて本当に申し訳なく「ごめんね、お饅頭見たら思い出してね」と言い続けることしか出来ませんでした。けれど不思議なことに閉店の日の夜8時までずっとお客様が来てくれて。普通、オープン時の方が閉店時より売上があるものですが、同じくらい恵まれた売上となりました。
吉原:それだけ西広島の皆さんにとって大切な場所になっていたということですね。
森本:あの場所でたくさんの子どもたちに出会えたことを思い出すと、今でも涙が出ます。本当にありがとう、という気持ちで創業店を手放しました。
吉原:心機一転ですね。
森本:以降は製造に特化し、卸業に移行しました。製造しては、店舗に卸す毎日でしたが、工場内の天井の雨漏りをきっかけに、工場に建築上の欠陥があることが分かりました。吉原:食品工場にとって、大問題ですね!
森本:想像以上に深刻な状況と判明し、移転先を求めました。当時話題になり始めていたHACCP(ハサップ)に準じた場所を、と考えて探し当てたのが現在の南吉島の店舗です。
吉原:更なる新天地への進出ですね!何が決め手となりましたか?
森本:ひとつは「景色が良かった」ことです。工場で働く人が、心を落ち着けられる場所であってほしいと思いました。 パッと外に出た時、海辺で、静かで、 船もたくさん見られるこの場所はとても良いと思いました。2つ目は「集合施設」だったことです。女性ばかりの職場ですので、たくさんの人が行きかう場所に安心と安全を感じました。
そこから人や商品の製造工程の動線を考えて図面を引いて、事業計画を立てて、借り入れをして、と必死で工場を建てる準備をしました。
新たな気持ちでスタートしようとしたその年に、西日本豪雨災害が起きました。
吉原:え!!そのタイミングでですか!
森本:当初の計画は一変し、呉や三原へは納品出来ない状況となりました。それでも「持って来てほしい」とご依頼があり、無理を押して配達に行きました。「せっかくなら応援メッセージをお饅頭で届けたい」と考えて、焼き印を作り「がんばろうや」「福幸」という文字の入ったお饅頭を届け続けました。暑い夏、ボランティアとして被災地の子どもたちへ、かき氷の提供もしました。
吉原:森本さんのバイタリティに頭が下がります。
森本:ですがやはり無理は長続きしませんでした。改めて経営を学ぼうと「実験販売」を始めました。週の3~4日、広島県外へ出向いて焼きたてのお饅頭を販売したんです。九州や、山陰などを周り、お陰様で、たくさんのファンやご縁を作ることが出来ました。けれど週の半分も管理者が不在となった工場はガチャガチャになりました。やってもやってもプラスにならず、このままでは会社は保たない、本当に手放す覚悟をしなければならないところまできました。
吉原:断腸の思いだったことでしょう。
森本:その頃「原点に戻れ」と長男に言われました。 けれど今度はコロナ禍となってしまい、実演販売で稼ぐことすら出来なくなりました。最後、山口県の下松で実演販売したんですけど「もうこれで本当におしまいだ」と思って。お饅頭焼きながら涙が出ました。
吉原: けれど終わりませんでしたね?
森本:はい。コロナで全てがストップしてから、改めて長男の「原点に戻れ」という言葉について考えました。これは最初にどういう思いで店を始めたか思い出せ、ということだろうと思って。福々庵のお饅頭は「メッセージを伝えるお饅頭」でした。だから「福」「ありがとう」「がんばろうや」「男気」「女子力」という風に、時代と共にいろんな焼き饅頭を作ってきました。
それでコロナ下にあってはアマビエだ!と思ったんです。アマビエのお饅頭で皆さんに福を届けよう。価格も少し上げて、売り上げの一部を医療従事者の方に寄付しようと決めました。
そしたらコロナ禍でも高齢者施設をはじめとしたたくさんの場所からご依頼が舞い込み、テレビや新聞に取り上げられることになり、アマビエ饅頭製造の為、工場はずっと稼働し続けたんです。

吉原:それは凄いことですね!!
森本:当時、集合施設の各店舗は全て休業していて、ゴーストタウンみたいでした。その中で、私たちだけが動いていました。
その時、お饅頭を焼きながら気づいたんです。「私はここを粗末にしとったな。せっかく工場を作ったのに、外に出てばっかりじゃった。ここは工場じゃない。聖地なんじゃ。全ての源なんじゃ。だからもう、ここを生かした経営に変えよう」そう決心して、商品開発に力を入れることにしました。
吉原:具体的には、どのような方向転換となったのでしょうか?
森本:クライアントから依頼を受けて、商品開発をするようになりました。おからやひじきでペットフードを開発し、農家から出荷できなかった生産物(果物など)を別の商品に作り変える相談も受けました。 自社製品においても「溶けないアイス」を「シャリもち葛バー」としてブラッシュアップ。宮島のはちみつを使ったケーキも開発しました。今年に入り、「商品プランナー」と「商品開発士」いう二つの資格も取得しました。
吉原:「子どもたちの居場所づくり」にはじまり、「卸販売」「クライアントのための商品開発」と、どんどん事業スタイルを変化させてきた森本さんですが、今後の展望を教えてください。
森本:自社について言えば「みんなで作り上げる会社」ですね。今、社内に「ヒット商品ラボ」というものがあって、みんなで意見を出し合いながら商品開発してます。自分たちの作りたいものではなく「喜んでくれるのは誰なのか?」「いつ、どこで食べてもらえるのか?」「その時どんな言葉が出るのか?」といったことを考えながら作り上げています。スタッフたちが生き生きしていることが私にとって一番うれしいです。
また「協業」を進めたいと考えています。実は今の工場も手狭になってきています。ですが自社を拡大するのではなく、他事業者さんと手を組んで、共に育っていけたらと考えています。例えばお菓子の製造の一部を作業所にお願いして一緒に作っていくとか。横浜中華街とキャンペーンを作ったりもしました。いろんな企業と繋がって喜んでもらえるビジネスを展開していきたいと考えています。
吉原:森本さんは本当に、人を喜ばせることに喜びを感じる方ですね。
森本:お客様が喜んでくれることをやり続けます。「喜ばれる」って言葉は私にとってすごく大切です。ものづくりは人の心が現れます。みんなが幸せでないと、と思ってます。
吉原:森本さんは商品や提案を通して「福」を運ぶ「幸せ配達人」ですね。今後、「協業」を拡げることで、喜びあふれる新しい企業のあり方を提示してくださることでしょう。これからも注目させて頂きます!本日は、ありがとうございました。